目カメラで撮ったから

自制できるもんならとっくにしている

20240914

重てぇパソコン担いでさあやるぞ!って家を出てきたのに使いたかったサービスがメンテナンスによりこの三連休フルで使えないことを知って絶望したのでただで帰ってたまるか精神ではてなダッシュボードを開きました。なにを書くかは書きながら考えます。なんかどこかにメモしておきたいな~と思いつつ後回しにしている感想とか感情って結構転がっている気がする。あえて外に出す必要もないけどちょっと誰かの目に触れる場所に置いておくのもわるくないか…みたいな、その程度の。

で、いまキーボードで文字を打ちながらそういえばこの話ずっとしたかったな、と思っていたことを思い出したので書く。もう結構前の話になるけど金原ひとみさんのエッセイを読んで、その本に記されていた一節が自分にとっては衝撃的すぎて、ずっとこの話を誰かにしたかった。以下引用です。

瞬間的な心の充足ではなく、恒常的な魂の充足などあり得るのだろうか。そんなものはこの世に存在せず、間を持たせたり凌いだりして、人生は紡がれていくものなのではないだろうか。全てがまやかしで、全てが退屈しのぎ、退屈しのぎに病み、依存できる何かを探し求め、依存した暁には依存に病む。これまでもこれからも、それ以上の人生を送れる気がしない。

金原ひとみ「パリの砂漠、東京の蜃気楼」(集英社)164pより

もう、これだ。これなんだよ。となってしまいしばらくここのひとかたまりが頭から離れなかった。自分の思っていることを言語化してくれた!ってやつ、これじゃん。になった。瞬間的な心の充足をつないでなんとかやってはいるけど本当にぜんぶ瞬間的で、しかもその瞬間的な幸せは他人頼りな部分が多く、自分自身はなんだかずっとつるっとしたまんまというか、現実はずっとなんだこれ……と思っている時間が長いような気がする。なんだこれ、という例えもなんだそれなんですけど、なんだこれって感じとしか言いようがない。ずっとこんな感じで生きていくんだろうか、と思っている時に『これまでもこれからも、それ以上の人生を送れる気がしない』というフレーズが目に飛び込んできてひえ~なった。

学生の頃に見た映画版の蟹工船に出てくる『人生を安売りする者に人生はそれ以上の支払いをしない』って台詞も強烈に覚えていて、度々思い返すことがある。別に安売りしているつもりはないけど、まあ確かにこの程度の支払いかもなって振る舞いをしている気がしなくもない。がんばってないこともないけどまだやろうと思えばやれるのに結局サボる的な人生をお送りしてしまっている。
……そう、これまでのサボりを解消するために慌ててeラーニング進めようとしたらメンテナンス!詰んだ!っていうね!意図せず伏線回収。でも私はほんとにすぐサボる。毎日コツコツとか絶対できない昔からできなかった。そもそも勉強しようとしているだけえらくない?ってすぐ自分を甘やかす思考もたっぷり持っている。努力ができるって本当に凄いことだと思う。この歳になると尚更そう思うよ

お腹空いてきたからそろそろなんか追加で頼むか…突発的に書き始めたので突発的に終わる。どうでもいいけど腹って単体でも「なか」って読めるんだろうか

正しい街

正しい街

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福岡行ってからなんとなく定期的に聴いている。19歳でこのアルバム出してるの凄すぎ…