目カメラで撮ったから

自制できるもんならとっくにしている

本当のことは知らなくてもいい

基本的にアイドルに限らず自分以外の人間が考えていることはほぼわからないと思って生きている。だからテレビや雑誌のインタビュー等で発信された言葉には「そうなんだ~」と思ったところで一旦完結する。繰り返しになるけど生活の中で接する人に対してもだいたいそんな感じだ。

もちろん好きな相手や興味のあるモノについてもっと知りたい!と思うのは普通のことだし、そういう相手側が発した言葉から何かを深読みしてみたり、想像したりするのは全然悪くないと思うんだけど、決めつけるっていうことはあんまりしたくない。もしかしたら本当にそうなのかもしれないけど、真実かどうかって結局わからないものだと思うんだよね。なんだかすごく当たり前のことを書いている…?

 

○○はこういう性格だから~、とか○○は本当はこうじゃないのに、っていう話はある程度のところまではだよね~!っていう同意で笑えるんだけど、ある一線を超えてくるとそこまでわかるもんなの?あんたは誰や?と思ってしまいスーンとなる。好きだからこそ、長く見てきたからこそ、なんとなくわかってくることがあるのもわかる。でも時々ものすごい決めつけみたいなもの(特にポジティブじゃない方の)を見かけると、あんたはいったい誰なんや?ってなります。

ステージの上にもテレビの中にも本人の“本人度”は割合はどうあれ1%以上はきっとあると思うし(まずそこに存在しているだけで嘘ではないから)仮にゼロだとしてもそれはそれでいいかな~という考え方はのん気なのだろうか。綺麗事に聞こえるかもしれないけど他人(=ファン)に思っていること全部なんて伝えてくれなくていいと思っていて、求める本音の度合は内容にもよるけど綺麗にだましてくれるなら極論ほとんど嘘でもいい。嘘っていう言葉がよくないな、うまく取り繕ってくれて構わないということです。

吉野朔実の記憶の技法という漫画に「うそをつくときの要を教えようか。本当のことを混ぜることだよ」っていう台詞があるんだけど、そんな感じで小出しにひょっこり出てきてくれるのが一番いいな。がっつりじゃなくてちょこっとで。

だから私の見えている範囲で好きだな、素敵だな、と思ったところを大事にしよう、とここ最近特に思うようになった。そのことを書きたかった。見え方感じ方考え方は人それぞれ違うしそれでいいんだからいちいち揺れないようにしたいのでした。私はこの目で見たあなたが好きなんだ!!!

 

でも「○○は○○なんだよ!」話は結局大好きだからこそ出てきてしまうものだよね。ややこしいし難しいね!アイドルを好きになって応援しながら見続けていく過程ってすごく楽しいけど、考えすぎるとたまにすごくめんどくさいんだろうな、と思います。でもそのめんどくささすら楽しいのかもしれない…

まず私は自分の考えていることすらよくわかっていない。問題はそこだよ。