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宝塚の凱旋門を観てレマルクの凱旋門を読んだ

六月に宝塚大劇場にて雪組公演「凱旋門」を観劇後、演目の原作であるレマルクの「凱旋門」を読みました、というタイトル通りの日記。よって舞台・小説どちらのネタバレも大いに含みます。

さて。普段あまり本を読まない、ましてや海外文学はほぼ読んだことのなかった私ですが、雪組凱旋門を観てからど~~~しても千秋楽ライビュまでに原作が読みたくなり、図書館で探し出しなんとか最後まで読み切りました!先に舞台を観たという土台があったことは確かですが、でも本当におもしろかった。この読書体験を与えてくれたという点でも雪組凱旋門には感謝の気持ちでいっぱいです
以下、舞台小説混ぜこぜの特に覚えておきたい・抱いた感想メモ。冒頭にも日記、と書いたのでこの記事は特に舞台版と小説版の比較がメインというわけではありませんのであしからず!(8月26日再編集・改題)

 

 

ボリス・モロゾフが好きすぎた

これまで70作近くの宝塚作品を観てきたけれど、恋という意味で好きになった男性キャラクターほぼほぼ初めてでは!?というくらい望海風斗さん演ずるボリス・モロゾフが気に入ってしまった…しばらくボリスのことばかり考えていた気がする。元々雪組では望海さんが好きなのですが、この「ボリスのことばかり考えていた」は完全にボリス・モロゾフという男についてです。そこまで考えさせてくれたのは望海さんの素晴らしい演技のおかげ他ならないのですが!
よく宝塚の男役は“女性の理想の男性像”なんて言われたりするけど、正直人の話聞かないヤツは多いし自分勝手な人も多いし本当に人の話聞かずに刃物振り回したり早とちり勘違いしたり………な男に多々出くわすので(※そうじゃない人ももちろんいます)主要登場人物でスキ♡♡♡となった男性キャラクターは実はあまりいませんでした。でも凱旋門のボリスは常に冷静で考え方が大人で、相手の話に耳を傾けその上で相手の気持ちを尊重することのできる…かといって真面目一辺倒キャラというわけではなく大人の割り切った遊び方も知っている風で、もうね、とにかくセクシーで魅力的な男だったんだよ!!!
セクシーといえばボリスの「俺も女性は行きずりに限っている」という想像力が掻き立てられる色っぽい台詞も、「ラヴィック、亡命者の君は愛を与えられても、生活は与えられない」と並べると少し違う色を持つんですよね。この“生活は与えられない”という台詞は刺さった。でもボリスや他の避難民と同じく身軽でいようとしていたラヴィックがジョアンと出逢って少しずつ変わっていく姿を、心配しつつ最終的には見守ってくれるボリスもまた人間味溢れていて好きなんだなあ…
原作には“大男だったが、もう六十を越していた”という記述があるので、その老成した精神が舞台版ボリス(30~40代くらい?)に宿っている、と考えるとあの落ち着きにも納得。シュナイダーに復讐する際の細かすぎるアドバイスとか、最後の旅券のくだりとか、もう書ききれないくらい好きなところがある!望海ボリスに関しては受話器の持ち方が天下一品だった。指の長さと美しさがよくわかる所作でした…うっとり
望海さんのこれまでの役ってアクの強い役が多かったと思うしそっちも大好きなんだけど、余裕のある大人の男性もすごくすごく素敵で、私はボリスが望海さんで本当によかったと思っています。ボリス相手になら積極的に恋に落ちたい。片思いしたい。

 

ラヴィックにとってのケート

雪組凱旋門では第六場のみ登場するラヴィックの患者であり友人のケート・ヘグシュトレーム(沙月愛奈さん=あゆみさん)ですが、原作ではジョアンの次に重要な女性キャラクターだと思います。舞台上でのあゆみさんの佇まいが素敵だったことと、台詞を追うとどうもただの友達ではなさそう…?と疑っていたので(?)小説を読み終わった後読んでヨカッターーー!!!と心底そう思いました。
舞台では会話の途中でラヴィックの言葉遣いが敬語からくだけた物言いに変わったり「無事に生き延びることだけが幸せとは思えなくなったの。それはあなたが教えてくれた事よ。」「何もかもありがとうね、ラヴィック」というケートの台詞を聞いて、恋人まではいかなくとも深い仲なのでは…?と思っていたのですが、その答えは小説の中にぎっしり詰まっておりました。
というのも、ケートはラヴィックがパリに来て初めて仕事=手術した患者さんだったんですね。その手術が成功したことから、ラヴィックはケートのことを「君は僕のマスコットだ。僕に幸運を持ってきてくれたんだ。」と言い、以降一緒に食事をしたり、他愛のない話をする仲になっていったようなのです。ちなみにケートはラヴィックが避難民であることを知りません。そういった違うコミュニティの人間と他愛のない話ができる時間はラヴィックにとってとても貴重だったのではないかな~と思ったり…
あ、ちなみにボリスもケートとは顔見知りです。KATEはロシア読みだとカーチャなのかな?一回しか出てこない呼び名だったけど脳内では89期♡ってなってましたエヘ。だから観劇後の読書はいいぞ!
ラヴィックは避難民であり、明日の生活がどうなるかわからない。ケートは避難民ではないがいつまで命が保つかわからない。持っているものは違ってもどこか通ずるものがあったのかもしれません。

「そうだよ。幸福はどこにでもころがってるんだ。ただ、それをひろいあげさえすりゃいいんだ。」
彼女はラヴィックを見た。「わたしほんとにそう思うわ。ラヴィック?」
「僕もだよ、ケート。ただ単純なものだけが、けっしてわれわれを失望させないのだ。それから。幸福はどんなに低いところにでもあるんだよ。」(184頁)

他にも何箇所か好きな台詞はあるのですが二人の会話で特になるほど…と考えてしまったのがここ。凱旋門の台詞って現代に生きる私たちにもすごく沁みるものが多い…

 

ラヴィックの名前

舞台版で一切触れられていないのがこの事実だと思うのですが、実はラヴィックという名前は本名ではありません。原作では序盤で本当の名前ではないことを明かしています。ラヴィックはジョアンに出逢ってから捕まる以前にも三回フランスから追放されているので、ラヴィックという名前は三番目の名前なんだとか(ちなみに最初は本名で入国しています)ジョアンもボリスも、ラヴィック以外誰も彼の本名を知りません。
ラヴィックの本名はここに書こうかどうか迷ったけど、やめました。気になった方は小説を最後まで読んでみることをおすすめします

名前ネタで言うと舞台版のシュナイダーは小説版ではハーケ、ペペはボボ、ボリスはモロゾフではなくモロソフ(これは単なる発音の違いかな?)アンリは作中に名前はなく、ジョアンと関係のあった男たちを一人に凝縮したキャラクター、という感じでした。アンティーブで一緒だった男と最後に銃を向けた男は別の人物です

 

ラヴィックとジョアンの最期の会話

ここも原作の話。舞台と小説の会話の内容はほぼ同じなのですが、決定的に違うのが使われている言語。そもそもお芝居は役がどこの国の出身者かに関わらず全員日本語を話しています。でもよく考えると彼らの共通言語ってフランス語なんですよね。
しかし最後の、最期の場面でラヴィックとジョアンはお互い母国語で会話しているのです。つまりラヴィックはドイツ語で、ジョアンはイタリア語で愛の言葉を交わしているのです………
小説ではラヴィックの台詞は日本語で、ジョアンの台詞はイタリア語で書かれているのだけれど、翻訳機を頼りにジョアンの台詞を訳すと舞台版のジョアンの台詞とほぼ一致していてもう涙でディスプレイ見えねえ状態でした…ここの場面もそうだけど、台詞は基本的に原作の和訳からあんまりいじってないんだよね;;;;そんなところにもグッときてしまった
本題からはだいぶ逸れますが昔見たベン・ウィショー主演の「追憶と、踊りながら」という映画でもこの場面と同じようなシーンがあってぼろぼろ泣いたなあ…ってことを思い出したりしていた。言語の壁は強い気持ちで越える瞬間があるんだよ~

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凱旋門の舞台と小説、共通しているところはすべてを語りすぎていないところだと思っています。そこがすごくいい。すごく好き。特に小説だとこの章と章の間に絶対“あった”ことが読み取れる文章の色気がたまらなくて、数秒ゆっくり息を吐き出さないと次進めない…なんてことも多々ありました。きっとラヴィックとジョアンが一番素直になれる時間が夜の時間だったんだろうなあと思う。傍らには必ずカルヴァドスがあってね…
舞台としては視覚的にも感覚的にも薄暗くて、宝塚作品にしてはかなり地味な部類なんだろうなあと思います。でもこういうお芝居は定期的に挟まってほしい。明るい内容ではないしきっと好き嫌い好み好みじゃないはあると思いますが、私は雪組凱旋門すごく好きでした。あと、作品とは直接関係ない自分の個人的な思いを拾ってくれるのもまた舞台や小説といったフィクション作品なんだな~と今回しみじみ思った。

久しぶりにブログを書こう!と当社比かなり張り切ってしまうほど凱旋門という小説のおもしろさに感動したのですが、その感情を文字に起こすって本当に難しい。白状するとこの小説が好きすぎて、なんとか手元に残したくて勝手に抜粋凱旋門(約42000字)を作ってしまったので…でもライビュ後もう一度振り返って浸るためにはどうしても必要だったんだ!!!
…と、原作小説の話ばかりしてしまったけれど、読んだ後に舞台を思い返すと、あの長編小説の雰囲気を損なうこと無く約一時間半に収めていることも本当にすごいことだと思いました。柴田先生の脚本は言葉運びがとても粋で素敵ですし、謝先生の各々が各々の人生を生きていることのよくわかる広場の演出などなど…初演は未見ですが、私は舞台・小説どちらも大好きでした。出会えてよかった本当に
そしてこのブログを書く際、抜粋凱旋門とルサンクを見返していたのですが、やっぱりこの作品の醍醐味は話の流れというか会話の積み重ねだなあ、としみじみ思った。常識の範囲内の引用量だとどうしても足りない。でも、ラヴィックとジョアンが不器用に思いを伝え合う場面は本当に読者の方まで緊張したり、照れてしまったり、自分のことのようにうれしくなったり…舞台で描かれていなかった部分を補完する、という表現は失礼な気もするけれど、その情景を雪組凱旋門メンバーで脳内再生出来たのは本当に贅沢体験でしたよ!
いまの私にはこのような拙い文章しか残せないけど、とにかく舞台の基である小説も本当に素晴らしかったよ…!という熱が多少でも書き残せていたらこれ幸い。

ちなみに私が読んだ単行本は復刊ドットコム版でした。恐らく初演時に出版されたのではないかな?最後のページに轟さんと月影さんのお写真が入っていました。書店在庫・版元在庫・重版予定全部ナシ…とないないずくしのないずくしでしたが他の出版社のKindle版はあるようです!でもやっぱり好きな本は紙媒体で手に入れたい派
なお引用フィールド外の緑字はル・サンクvol.193、青字復刊ドットコム版から引用しております。

凱旋門 (fukkan.com)

凱旋門 (fukkan.com)

 

なぜかあまぞんにがいせんもんのる・さんくがいない…なんで……

 

 

毎回インターバルが空くので書き方を忘れてしまう!最後に今後のスケジュールですが(組長さんか)東宝メサイア以外は特に決まっておりません…全ツのチケットをどうしても手に入れたい!助けてメサイア~!